毎年のように「誰が見るんだ」と言われ続ける紅白歌合戦。
正直、私もNHKに対して思うところは多い。
それでも、大みそかになると結局この“時代遅れの儀式”を眺めてしまう。
2023年の紅白も例外ではなかった。
ということで、2023年NHK紅白を、これはもう「音楽番組」というより“文化の標本”だな、と改めて感じた話をしていきたい。
なぜこんなにもK-POPグループが多いのか

今年も出演者が発表された瞬間から、案の定あちこちで批判が噴き上がった。
理由は単純で、K-POPグループが多すぎるから だ。
K-POPが好きな人にとっては嬉しいラインナップだろうし、私自身も日本のテレビで推しのパフォーマンスが見られると、つい“我が子の晴れ舞台”を見るような気持ちになる。
そこは否定しない。
ただ、NHKは曲がりなりにも「国営放送」を自称し、国民から受信料を徴収している立場だ。
その“国営”が、日本の音楽シーンよりも韓国のグループを優先してどうするのか。
国民の大半はK-POPに興味がない。
この“感覚のズレ”こそ、紅白が毎年物議を醸す最大の理由だと思う。
サブスク全盛の時代に、「受信機があれば契約したことになる」という謎の法律。
国民から徴収した受信料で成り立つNHK幹部の高給。
そして教育番組以外の質の低さ。
こうした“体質の古さ”に、K-POP偏重が重なると、もはや火に油でしかない。
話が逸れたが、K-POP好きの立場から言わせてもらうと、「NHKの紅白なんて出なくていいよ……」という気持ちがどうしても湧いてしまう。
この感覚そのものが、紅白という番組の存在意義を象徴している気がする。
とはいえ、年配の親族にとっては「大みそかは紅白を見るもの」というルーティンがまだ健在だ。
その流れに乗る形で、今年もとりあえず視聴してみた。
そして今年も例によってK-POPグループが多かった。
好きなグループも出る。
だから見た。
結果としては、まあ“及第点”といったところだろう。
音楽に触れる窓口が昔より狭い現代
音楽アプリを開けば、アルゴリズムが“あなたの好み”を完璧に把握したかのように、似たジャンルの曲ばかりを延々と流してくれる。
便利ではあるが、その便利さゆえに、自分の外側の音楽に出会う機会は昔より確実に減った。
テレビの音楽番組は、いまだに「昭和の名曲ランキング」なんて特集を組んでいるが、あれはあれで、強制的に“知らない曲”に触れさせられる場でもあった。
その結果、自分が生まれる前のグループに興味を持ったり、親のCD棚を漁ってみたりすることもあった。
そう考えると、紅白という時代遅れの番組を家族で眺める時間は、「私の時代はこの人がアイドルだったのよ」 「今の子たちはこんなにダンスが上手なのね」といった、世代間の音楽体験が交差する貴重な瞬間でもあったのかもしれない。
実際、K-POPのパフォーマンスでは一糸乱れぬダンスに感嘆し、“聴かせる”系の歌ではその声量に圧倒された。
日韓のアイドルを並べたエンタメ重視のステージは、「アイドル」という枠を超えた夢の競演になっていたと思う。
自分の興味のある曲だけを選んで聴ける時代だからこそ、こうした“ジャンルの融合”は、興味の幅を広げるきっかけになる。
その意味で、今年の紅白は、 「見る価値のあった番組」と評価していいのかもしれない。
「紅白」「歌合戦」のくくりはもう限界が来ている
マイク一本で歌を聴かせる時代から、ダンサー、照明、カメラワークを総動員した“見せるパフォーマンス”が主流になった今。
SNSのダンスチャレンジから曲がバズり、どのSNSを使っているかで流行曲がまったく違う。
音楽の聴かれ方はここまで多様化しているのに、紅白は相変わらず「歌合戦」という古い枠組みにしがみついている。
男女で分けた“紅組・白組”という構造も、もはや時代とのズレを隠しきれない。
この“無理やり続けている感”こそが、毎年のように物議を生む正体なのだと思う。
華やかなダンスで魅せるステージもあれば、しっとりと歌い上げて心を掴むステージもある。
アーティストたちはそれぞれの強みを最大限に発揮しているのに、その魅力を“合戦”という枠に押し込めてしまうのは、あまりにももったいない。
本来なら、 パフォーマンスの多様性をどう見せるか に全力を注ぐべきだろう。
それこそが、受信料で成り立つ放送局の“誇り”の見せどころだ。
ギネス記録だの、謎のチャレンジ企画だの、アーティストのパフォーマンスの裏で小ネタを積み上げる余裕があるなら、まずは番組の根本的な構造をアップデートすべきである。
紅白の存在意義が現れていたパフォーマンス
とはいえ、「これが見られるなら、紅白という時代遅れの番組にもまだ存在意義がある」と思わせる瞬間もあった。
それはNHKの功績ではなく、完全にアーティストの力だ。
個人的に胸が熱くなったのは、やはりYOASOBIの「アイドル」だ。
リアルタイムでは子どもの寝かしつけで見られなかったが、SNSで“歌って踊るアーティスト総出演”という情報が流れてきて、録画を見る前から期待値が上がっていた。
実際に見てみると、あの豪華なコラボは反則級だった。
K-POP界隈では「アイドル」のダンスチャレンジが流行し、多くのアーティストがこぞって踊っていた。
その“バズ”が、YOASOBI本人の歌唱と同じステージで交差する。
国やジャンルの垣根を超えた瞬間が、あの数分間に凝縮されていた。
一方で、「聴かせる」楽曲の代表としては、さだまさしの「秋桜」が胸に刺さった。
自分が結婚して親元を離れ、親の老いを実感するようになった今、あの歌詞は以前とはまったく違う重みを持って響く。
このステージでは、余計なチャレンジ企画もなく、ただ淡々と歌が届けられた。
やはり“聴かせる歌”は、過剰な演出よりも静けさの中でこそ輝く。
紅白が本来持っていたはずの“音楽番組としての品”を、久しぶりに感じた瞬間だった。
年越しの行事のひとつとして残り続ける紅白

一年のあいだにエンタメの風景は大きく変わる。
2023年は特に、SNSやネット文化が加速し、“オールドメディア”と呼ばれる側にも変化を迫った年だった。
そんな中で、紅白歌合戦は毎年のように議論を巻き起こしながらも、依然として「年越しの恒例行事」として多くの家庭に残っている。
良い部分は残しつつ、時代に合わせて変化していくこと。
本来なら、それが公共放送の役割のはずだ。
私自身、今後“自分の意思で”紅白を視聴することはおそらくない。
ただ、家族が集まる年越しの夜に、この時代遅れの番組を半ば儀式のように眺めることは、きっとこれからも続くのだろう。
紅白がどう変わるのか。
そしてNHKという巨大組織がどこへ向かうのか。
その行方を、少し距離を置きながら見届けていきたい。
おまけ|評論風はストレス発散になる
今回は思い切って”評論風”の語り口にしてみたのだが……
これ、すごくいい笑
普段は関係各所に角が立たないように、テーマも口調もだいぶマイルドにしている。
しかし、本来の私はうがった見方全開のオタクである。
この尖った語り口のほうが、むしろ素に近い。
日々、天下のGoogleに唾を吐きながらブログを書いている身としては、国営放送には痰を吐きかけても問題なかろうと、思い切って評論風に書いてみたが……
内心はどっきどきである。
もしこのブログが突然BANされた場合は、裏で大人の事情が働いたか、痰を吐きすぎた結果だと察していただきたい笑



