こんにちは、しょーちゃんです。
私は昨年春に約10年勤めた、法人向け福利厚生サービスの会社を退職し、夏に現職への転職を果たしました。前職の最終出勤日から現職の入社日までは、約2か月間の有給消化期間がありました。
つまり、『収入はあるけれど、働かない』、いわば「擬似FIRE(早期リタイア)生活」を2か月間だけ体験したわけです。
最初の数日は本当に最高でした。
朝は好きな時間に起き、人気の少ない平日に出かけられ、これまで仕事に取られていた時間をすべて自分のために使える。「毎日が休日」というのは、社会人にとって究極のご褒美のように感じました。
しかし、1週間、2週間と経つうちに、だんだんと違う感情が湧いてきます。
思っていたよりもお金が減る。
時間を持て余す。
運動不足になる。
そして、妙な焦燥感を覚える。
この2か月間のことを振り返ってみると、FIREを目指す人にこそ伝えたい「働かない生活の落とし穴」がたくさんありました。
この記事では、実際に疑似FIRE生活を体験して感じた落とし穴を正直にまとめます。
お金編:とにかく「金が減る」

家にいる時間が増えると、出費が増える
仕事をしていたときは、平日はほとんど家にいません。光熱費も、冷暖房も、昼食も、ほとんど職場で完結していました。
しかし、家で過ごす時間が長くなると、生活コストが静かに膨らみ始めます。
電気代、ガス代、水道代。
在宅時間が長いだけで、これらは確実に上がります。特に冬の暖房や夏の冷房は顕著です。
「家にいるだけで金がかかる」という現実を、初めて実感しました。
自炊にハマると「節約」が「散財」になる
時間があると、つい家のことに手を出したくなります。
「せっかくだから料理に凝ってみよう」
「おしゃれな器をそろえたい」
「ちょっと良いフライパンを買おう」
——こうして、見事に金が飛びます。
さらに、昼食ぐらいは作ろうとキッチンに立つのですが、献立を考えるのが思っていた以上に大変でした。
「妻との二人分を作る手間を考えると、コンビニで済ませた方が楽」
「子供達は幼稚園だし、今まで行きたかったけど諦めていた店に食べに行っちゃおう」
そんな日が続くと、食費もどんどん上がっていきました。
「ご褒美マインド」が財布の破壊に拍車をかける
「今まで一生懸命働いてきたんだから、少しくらい贅沢してもいいよね」
「有給消化期間くらい、自分のためにお金を使いなよ」
このマインドや妻からのありがたい言葉がとにかく危険です。
外食、カフェ、ちょっとした遠出、趣味の買い物……
「働かなくてもお金がある」という状況は、精神的なブレーキを外してしまいます。
使う喜びが一気に膨らんで、日々の出費が加速しました。
FIRE生活に入った人の中には、「退職後に支出が増えた」と言う人が多いですが、その理由が身に染みて理解できました。
生活編:意外なコストが積み重なる

私服が足りない問題
働いていたころは、平日5日間スーツ、休日は2日間私服。
つまり、週2パターンあれば十分でした。
ところが、ずっと家にいる生活になると、
「部屋着・近所用・外出用」と服の用途が細分化され、洗濯の頻度も激増します。
結果的に「服が足りない」「私服を買い足す」ことになります。
気づけば、服を追加購入。
FIRE生活を想定するなら、私服の維持コストも計算に入れておくべきだと感じました。
家にいる時間が長いほど、細かいところが気になる
時間があると、家の細かい部分が気になり始めます。
カーテンの汚れ、壁の色、家具の位置。
「せっかくだから模様替えしよう」と思い立つと、これも出費につながります。
収納用品を追加購入し、お掃除グッズを揃え、便利家電をネットサーフィンしてしまいます。
働いていたときは「気づかないふり」で済んでいた部分が、毎日目に入ると気になってしまうんですよね…。(決して妻ディスではありません。)
時間編:自由は「浪費」と表裏一体

YouTube・動画サブスクは底なし沼
最初のうちは「今まで観られなかった映画をゆっくり観よう」と思っていたのですが、次第にそれが「習慣」になってしまいました。
Netflix、Amazon Prime、YouTube…
どれも手軽に開けるうえに、次々とおすすめが出てくる。気づけば1日が終わっています。
働いていたときは、時間が限られていたからこそ「観る価値があるものを選ぶ」意識がありました。
けれど、時間が無限にあると、選択基準が崩壊し、とりあえずスマホを開いて気づいたら時間が経っています。
「自由時間が多いほど、浪費が増える」というパラドックスを、身をもって体験しました。
身体編:通勤が消えたら運動も消える

強制的な運動がなくなる
働いていた頃は、通勤や訪問などで、無意識に体を動かしていました。
職場までの徒歩、客先での階段の上り下り、歩く、立つ。
一つ一つの消費エネルギーは大きくない動きですが、それが立派な運動だったと気づきます。
家で過ごす日々では、文字通り「動かない」。
1日で歩数が1000歩を下回ることも珍しくありませんでした。
結果、体がたるみ、体力も落ち、気持ちまでどんよりしてくる始末。
(この辺りはバセドウ病の初期症状が出ていた時期とも重なるので、体重が激増していたわけではありません。ただ、バセドウ病がなければ確実に体重が増えていたと思います。また体力低下や気分の沈みもバセドウ病の影響があった時期なので、一概に運動不足のせいだけとは言えませんが、運動量の激減は実感していました。)
「時間がある=健康的な生活ができる」なんて大間違い。
「動く理由」を自分で作らないと、運動ができませんでした。
運動を習慣化する難しさ
これではまずいと、適度な運動をするため外に出てウォーキングをしようとしても、天気次第でモチベーションが変わります。
雨、風、暑さ、寒さ。
「今日はいいか」と思う日が積み重なり、いつの間にかサボり癖がついていき…。
家の中でもできる運動を…と思っても、モチベーションの維持が難しい…。
「やらなきゃ」ではなく「やりたい」と思える仕組みを作らないと、続かないことを痛感しました。
メンタル編:自由と退屈は紙一重

働いていたときは、「仕事が忙しい=自由がない」と感じていました。
しかし、いざ自由を手にすると、今度は「刺激がない=退屈」と感じるジレンマがありました。
刺激のために外出すると結局出費がかさみ、気持ちよく外出できません。
結局のところ人間は、適度なストレスや緊張がある方が安定するのかもしれません。
FIRE後に「暇がつらい」「社会とのつながりがなくなる」と言う人がいる理由が、少し理解できました。
働かない時間を楽しむには、「自分で課題を設定する力」が必要です。
趣味でも副業でも学びでもいいですが、毎日を過ごす目的を設定するべきでしょう。
「やることがない」状態は、想像以上にメンタルに響きます。
擬似FIREを体験して感じた、FIRE後のリアルな課題

① 自由時間は「使うスキル」が必要
時間があっても、使い方を知らないとすぐに浪費に走ってしまいます。
今まで仕事で埋まっていた時間が空いた部分を何で埋めるのか。
暇を「贅沢」に変えるには、明確な目的とリズムが必要です。
② 出費は「減らない」どころか「増える」
FIRE生活を想定するなら、支出が減る前提で計画を立てるのは危険です。
不労所得があったり、十分な蓄えがあるからこそのFIREですが、それまでの生活よりも何かしらコストがかかる可能性を含めて、シミュレーションをしていく必要があります。
③ 健康意識を高く持つ
時間があっても、体は勝手に健康にはなりません。
働いていた頃に無意識にしていた「適度な運動」をどう継続していくのか。
意識して、適度な運動やバランスのいい食事を心がける必要があります。
④ メンタルの安定には「社会接点」が必要
完全に孤立すると、自己肯定感が下がります。
よく私の妻は自分のことを「クソニート」「ゴクツブシ」なんて散々な言葉で表現していますが笑
これは自分を必要以上に卑下しているのではなく「そうかもしれない」というメンタルになってしまう証拠ですね。
誰かと関わること、発信すること、ちょっとした人とのつながりが意外と大事です。
まとめ:自由を楽しむには、自由を管理する力がいる
2か月間の有給消化期間を過ごしてみて感じたのは、
「自由は、思った以上に重たい」ということです。
働かない=何もしなくていい、ではなく。
むしろ、時間・お金・健康・メンタルのすべてを「自分でコントロールする力」が問われます。
FIREを目指す人にとって、本当の課題は「いくら貯めるか」ではなく、「どう生きるか」を明確にすることかもしれません。
この記事が、皆さんのFIRE後の生活を考えてみるきっかけになれば幸いです。

コメント