10年働いた会社を辞めて家族を選んだUターン転職のリアル

FIREへの道

心の葛藤と転機

こんにちは。
FIREを目指す30代サラリーマン、しょーちゃんです。
今回は私の転職の経験についてお伝えしたいと思います。
2024年の春、30代半ばを目前にして、転職を決断。
約一年経過した現在、当時の心境を振り返りながらリアルを語ります。

それなりのポジションに就き、収入も安定していた状況。
順風満帆と思えた毎日を過ごしていたある日、ふと頭をよぎった家族との未来。
それは「一生このままで良いのか?」という問いかけでした。

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第一章 10年続けた会社と自分のキャリア

まず簡単に私の職歴を紹介しましょう。

【一社目】
新卒入社。おそらく日本で知らいない人はいないであろう某小売店。
当時の東証一部上場企業で、ザ・大企業という感じ。
アパレル関係ということもあり、労働時間は長く、毎日8時から23時くらいまで勤務
(当時も違和感はありつつも、今じゃ本当に考えられない労働環境…)
パワハラ・アルハラは当たり前、威圧的な態度での叱責は日常茶飯事。
イッキ強要とかも当然のごとくあり、やらないとノリ悪いみたく思われるのが怖くて付き合っていました。
人によっては、叱責中に手を出されている人もいました。(※私は暴力に関しては被害なし)

【二社目】
一社目の劣悪な労働環境に嫌気がさし転職。販売員から営業職へ転身。
BtoB営業で、企業の福利厚生を充実させる製品を提案する仕事。
こちらも当時の東証一部⇒プライム上場と安定した大企業でした。
入社当初は、来る日も来る日も飛び込み営業をする毎日でしたが、残業しても8:30~20:00くらい。
土日祝休みで、一社目と比較して天国のような環境でした。

【三社目】
現職。医療業界での営業。
多くは語れないけど、やはり医療従事者はクセの強い人が多い
業界ではそこそこ知名度のある会社で、先輩社員たちも学歴が高い人が多く、社内の人間も顧客に負けず劣らずクセ強め。

今回は二社目から三社目への転職に至った経緯と、現在の心境を吐露します。
前職は管理職も経験させてもらいながら、なんだかんだ約10年勤めました。
前述の通り、泥臭い営業会社ではありましたが、ブラック企業で無駄に鍛えられたメンタルと、世間を知らない若さからくる「社会人ってこんなもんだよね」というズレた感覚も相まって、大変ながらもそれなりに充実した日々を送っていたように思います。
成績はモチロン優秀で、売り上げまくり、ずっとトップ走っていた!
と言いたいところですが、そんなことはなく・・・

月末にヒーコラ言いながら数字をかき集めて、ギリギリ予算を達成させて安堵する、といった凡庸なセールスマンでした。
とはいえ何度か社内表彰にノミネートされたり、マネージャーまで経験させてもらったりと、会社にとっての”お荷物”ではなかったな、という自負もあります。

特に地元を離れ、転勤地で励んだ管理職のポジションは、自分の人生においてとても大きな財産となっていて、人の上に立つことの難しさとやりがいを感じながら向き合い、一人の人間として成長できたと感じた経験でした。

Uターン転職を決断した理由

前職での管理職の経験は、入社6年目。20代最後の年にチャンスをいただきました。
社内を見回しても同じ役職を務めている方々は多くが30代後半以降。
若い時期に本当に大きなチャンスを与えてもらったのだなとしみじみ思います。
そんな状況、傍から見れば順風満帆。いま思い返すと自分でもそう思います。

ただやはり、渦中は視野が狭くなるもの。
前職で管理職を務めた3年間はずっと「一生このままで良いのか?」という自問自答を繰り返していました。

転職のきっかけとなったのは長女の小学校入学
私個人の価値観にはなりますが、「いまの自分」を形成しているものの要素として、家族の次に“地元の友人たち”という存在は大きな意味をもっています。
中年になった今でも付き合いのある友人たちは皆、小学校からの同級生たち
少年から青年、大人になるまでのお互いを知り尽くした関係性は、家族とはまた違った刺激や価値観を与えてくれます。

この価値観を娘たちが受け継ぐかどうかはわかりませんが、とにかく親の仕事都合による転校で、子供の交友関係をリセットさせてしまうことは絶対にしたくないと強く思っていました。
そのため、長女の小学校入学の前には“終の棲家”となるであろう土地で、腰を据えて働きたいという気持ちがありました。

良好な人間関係、安定した収入、やりがいのある立場、etc…

まさに手放すには惜しいと思うものばかりで本当に沢山葛藤しましたが、子供たちの将来夫婦の将来、そしてやはり自分自身が後悔しない将来のために、一度全てを投げ出して、新たなチャレンジをすることを決断しました。

終の棲家を見つけるにあたって不動産会社とやりあった妻の奮闘記録はこちらから…笑

実際にUターン転職してどうだったか

新しい環境、新しい業界。まさに0からのスタート。
期待と不安を胸に飛び込んだ新たな職場では、職場の人間関係について、想像以上にキツさを感じる環境でした。
業界は違えど同じ営業職。対顧客という面では、そつなくこなせる。その自信は裏切りませんでした。

しかし困難だったのは社内での人間関係。
価値観の合わない同僚
生理的に受け付けない上司
プライベートを犠牲にしてまで働くことがさも美しい!残業は仕事に熱意を持っている証し!という価値観

誰に相談して良いかもわからないまま過ごしているなかで、体重が7㎏減少し、肌荒れが悪化しました。
この辺りについては書き始めるともの凄いボリュームになってしまうので、別記事でまた語らせてもらいます。

キャリアの正解は自分で決める

文句を言ってたって、捨てたキャリアは戻らない。

一度きりかつ、自分の人生。
正解・不正解を決めるのは誰か?

自分自身で


「10年勤めた会社を辞めたことに後悔はあるのか?」

全くない。一切未練はない。
・・・とは正直言いきれない。
だけど、あの時決断せずに安定した立場を選んでいたら今の自分はない。

念願だった地元に戻り、愛着のある土地で生活できている現状に不満は全くない。

ャリアよりも、暮らしが優先。

これは自分の中でずっと変わらない価値観。
自分が一番大事にしたいのは家族友人、そしてなにより自分

自分らしく生きる。そのための選択を「正解」にするのは自分なのだ

ただし、生きていくにはお金は必要。だから働く必要があるけど、仕事に忙殺されていては本末転倒
そこのすり合わせをこれからどうしていくか。そこが問題。

月並みな表現かもしれないですが、やらない後悔よりやった後悔のほうが、あとからモヤモヤしないということは身をもって知ることができたと感じています。
なんだか結局すっきりはしない感じになってしまいましたが、完璧な選択などないというのもまた人生です。
あそこがイマイチだった、ここはもっとこうしておきたかった、それは今後も必ず出てくるものでしょう。
ただ、自分としては限りなく正解に近いUターン転職ができたのではないかなと感じています。

最後に

Honda創業者本田宗一郎氏の名言で締めたいと思います。

「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。」

現状に不満を感じている方。
この記事が、新しいステップを踏み出し、より幸せな人生を歩み始めるきっかけになれたら幸いです。
私もこれから、理想の人生を追いかけて、まだまだ奮闘していきたいと思います。

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